こんにちは。
今年もあと数日で終わりですねぇ。
一年、あっという間です。
PSストアでウィンターセールが始まりましたので、「エルデンリング」を購入しました。クリアできるとは思えないけども。
オープンワールドなのですよね。オープンワールドで「祝福」というチェックポイントで休むと敵が復活する…ってどんな感じなのでしょうね。
オープンワールドのゲームはマップの「敵の拠点」や「?」を潰していくの事が、面白いというか目的の一つと思うのですが、「エルデンリング」はそのへんどうなってるのでしょう。マップに出る「敵(ボス級)」と復活する「敵(雑魚)」ってことですかね。
一応買う前に「エルデンリング」の評価や難易度なども、ちょこっと調べたのですよ。
で、『ゲームの内容は「ダークソウル」 操作性は「SEKIRO」に近い』という評価を見ました。動きは「SEKIRO」のほうが俊敏だとか。
ボス級の敵は「過去最高に強い」という意見も結構ありました。
とはいえ「技」を使ったり、NPCの助力が得る等、オープンワールドを活かし、別のところでレベル上げるなど、強いけど倒す術はある、らしい。
全体的に「過去作で一番難しいけれど、クリア手段がたくさん用意されてる」という印象を受けました。
「イージーモード」の話
「高難易度」のゲームによくある話ですが。
「イージーモードなんて必要ない」とか「苦労してクリアするのが面白いのに、簡単にしてどうするの?」とか、そういう意見もあるじゃないですか。
「SEKIRO」なんかも「障碍者に配慮してイージーモードを…」という声に「難易度下げたら遊ぶ意味なし」とか「それこそ障碍者を貶めてる」とか言う声も。
ゲームに「難易度」を設定するのに、どれだけ開発費がかかるのか知らないですけども、そんなに「イージーモード」って駄目なんですかね。
私のゲームの楽しみ方は「難しいものをクリアする達成感」ではなく、「キャラクターと最後まで物語の終焉を迎える」という点に重きを置いています。
「SEKIRO」は未クリアでも好きなゲームなのですが、そういった意味では「達成感の得られなかったゲーム」になってしまうのが残念。
頑張ればいいじゃん…って話では無いんです。
頑張っても、何度挑戦しても、出来ないことはある。そもそも「何度も挑戦」が出来ない場合があるんだよって事なのです。
「SEKIRO」については、こんな記事を見つけました。
記事では『「SEKIRO」は非アクセシビリティのひどい例』と書かれています。
本当にフロムがそういった配慮をしてないのかは、わからないです。
わからないのは、私が通常にプレイする分には困らないからであって、人によっては「見にくい、聞こえづらい」とか、何かプレイしにくい面があるのかもしれないですし。
なので、「SEKIRO」が非アクセシビリティだとは、言い切れない。
言い切れないけども、「SEKIRO」のような高難易度ゲームのクリアを断念した人の中には、「アクセシビリティ」では対応できない理由があったり、「時間をかけて、何度も挑戦」する事が難しいがある人もいると思う。
そういったプレイヤーには「イージーモード」が、最も簡易的な解決の手段になるのでは、と考えてしまうわけです。
やっぱり「SEKIRO」をクリアできないまでも、いけるところまではプレイしたいんですよ~。私は。
そんな中、こんな記事も見つけました。
この記事のソーソン氏のアイデアは良いと思う。
個人的には高難易度でもクリアできるプレーヤーは、「イージー」であれ「アシスト」であれ、自身に害は無いのにも関わらず、なぜゲームを易しくする設定を目の敵にするのか理解できないけれど。
氏の提案であれば「イージー」が気に入らない人も、煩わされないのではないでしょうか。
あと、昔の話なんですけども、マリオのゲームで、何回か失敗するとゲーム側が「ここを飛ばします?」みたいな事を聞いてくる設定があったんです。
オッケーにすると、失敗したところはムービーがやってくれて、好きなタイミングで解除のボタンを押すと、そこから自分で続きのプレイができるんです。
さすがにこの機能はフロム向けじゃないけれども。
例えば、最初の忍殺までは行けるのに…って人は、そこまでゲームにやって貰えたら、次の段階のプレイ経験を増やせるのにな~って思ってしまう。
「時間をかけて、何度も挑戦」する事が難しい、「頑張ってもできない、そもそも頑張れない」という人には、ありがたいシステムではないかなぁ…。どうでしょう。
上記の二番目のリンク記事で「SEKIRO」のディレクターさんが「SEKIRO」に難易度の選択肢が無い理由について答えておられます。
これは「難易度」についての氏の見解で、「アクセシビリティ」についてはどう考えておられるのか不明です。そうであっても、私としてはちょっと…なんというか、がっかり…?という印象です。
引用させていただくと
『全てのプレイヤーに達成感を与え、同じ水準の議論に参加し、同じ水準の喜びを感じてもらうため』という事です。
これね…。ゲームの体験は各々違うじゃないですか。「どの敵が一番苦戦した?」という質問に「〇〇」と答えれば、「あんなの雑魚級、初見で楽に倒した」と返す人もいたりして。
同じ水準と言っても、プレーヤーの技量も違えば、狼の体力値やアイテムも違うわけで。喜びだって「倒せた、クリアできた」は共通でも、同じ水準で喜ぶ事なんて無いと思う。
とはいえ、こういう考えが間違ってるよ、と言いたいわけではありません。
ただ、「クリアできる技術と根性がある人だけ楽しんでくれ」と、突き放された感が悲しいな、と。「これこそフロム」なのかもしれないけども。
いちおう、いつか状況が良くなれば「頑張って練習」ができるかも、と思っているので、「SEKIRO」のプレイ動画はクリアした敵と、手こずっている「祐一郎」だけ見ています。けれども完全に諦めたら、見ちゃうかもなぁ。
最初のリンク記事にも書かれている通り、ネットには「SEKIRO」に限らず、ゲーム実況動画や攻略解説動画に溢れていますから。
見ようと思えば、私の拘るムービーも物語の結末も見れちゃうんですよね。
とまあ、ぶちぶちと愚痴を書き散らしましたが、「エルデンリング」は難しいけど、クリアできる機能が用意されてる、って事なのでプレイが楽しみです。