エスケーピング・マッドハウス 女性蔑視の社会

 

本日はクリスティーナ・リッチ主演の

エスケーピング・マッドハウスです。

ホラーではなくミステリーな伝記でしょうかね。

でも、ややこしい謎解きあるわけでもないです。

 

 

 

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エスケーピング・マッドハウス



あらすじ

 

舞台は1887年のニューヨーク、ブラックウェル島の精神病棟。

心神喪失状態でニューヨークを彷徨っていた女は、”ブラックウェル島の謎の女”と世間に名付けられた。彼女が覚えていたのは、ネリー・ブラウンという名前だけ。

ネリーは写真付きで記事になったが、ブラックウェル島に彼女を知る者が訪れる事は無かった。精神科医のカウンセリングを受けながら、施設で暮らすネリーの身に起きたのは…。

 

 

DVDとかの映画紹介のあらすじで、さらっとネタバレをしてます。

そうはいってもネリー・ブライは世界一周やこの精神病棟の取材などで、それなりに名前を知られている女性記者です。苗字を少し変えてはいるとはいえ、このタイトルの映画なので、ネタはある程度はわかってるのですけどね。

重要なのは「ネリーが何者か」ではなく「マッドハウスで何が起きていたのか」ということなのでしょう。

 

 

 

 

 

精神病棟の実情

ブラックウェル島の精神病では「治療」や「しつけ」という名目で、患者たちが非道な扱いを受けていました。

収監当初は自分を保っていた女性も、少しずつ自我が崩壊してしまったり、諦めて大人しく従う女性…職員に媚びる女性がいたり…患者たちの多くは無気力、無抵抗でした。

記憶が無いながらも、自分は正気だと信じるネリーは「この施設はおかしい」と訴えますが、信じてもらえません。

 

親身になってくれる精神科医、気にかけてくれる看護師、威圧的な施設長、断片的に浮かぶ記憶、何を信じるべきか不安を募らせるネリーは、施設からの脱出を試みるのですが…。

 

 

 

 

活動的な記者

原作はネリー・ブライ著の「10 Days in a Madhouse」です。「精神病棟の10日間」という感じでしょうか。読んでいないので、映画のどの部分が脚色なのかはわかりません。

ネットで見つけたネリーについての論文を読んだ限りでは、「記憶障害」は施設に潜入するための演技であり、しっかり自我を保ちながら取材を慣行していたようです。

ネリーはブラックウェル島から出た後も、ニューヨーク州議会の汚職、現職警官が絡む女性対象の悪徳商法、女性参政権運動家へのインタビュー、そして「72日間世界一周」など、精力的に活動しています。

その後は金満家と結婚、慈善事業をしつつ生涯記者であった…らしいです。

 

 

 

ただの女性として

 

先に書いたネリーに関する論文によると、彼女は綿密な計画を立て、精神症状を研究、演技の練習を重ねて、ブラックウェル島に移送されるように仕向けています。

その段で「記憶喪失」を演じるのですが、当時「記憶喪失」が物珍しかったらしく、島に入る前からネリーは記事になっているようなのですね。

それが”ブラックウェル島の謎の女”と呼ばれた所以でしょう。

 

事実はそうであったとしても、映画では「勇気ある女性記者の潜入ルポ」ではなく「自身が正常か不安になりながらも、施設の現状を世に訴える女性」として描きたかったのかもしれません。

 

 

 

整合性が無い気がする

 

ネリーの記憶を失わせることが演出として必要であったとしても、物語の中にその必然性が感じられませんでした。

どうしてネリーの記憶を奪う必要があったのかー所持品で記者だと感づいた?

なぜ精神科医のカウンセリングを受けさせたのかー記憶を取り戻したか監視したい?

と、なぜ??と思うところがいくつかありました。

 

でも、けっこう気分で「しつけ」をしたり「治療」といって拘束したりとかだったので、意味があったり何かしらの計画があったわけでは無く、「治療」をしたら記憶をなくしてしまった、というだけなのかもしれないです。

 

 

 

女性軽視というマッドハウスな世間

 

映画の最後に、ネリーの取材が精神ケアの改善に繋がり、精神科病院は閉鎖、現在のブラックウェル島がどうなったか…というような文が出てくるんです。

えっと…。病院閉鎖はともかく島の情報とか、重要ですか?

それよりも、患者たちがどうなったか…とか、精神病診断される基準が変わったとか、外国人には通訳をつける義務ができたとか。仕事や行き場を無くした女性の救済とか…。

なんかそういう具体的な改善は…無かったのかなぁ…。

 

女性が自立し、男性と同じように働くことを社会が拒む一方で、生家は未婚の女性を養えず、婚家は子供だけを必要とし嫁を排除することもある。

家からも社会からもはじき出され、行き場を奪われた女性たちが行きつくところは、

社会の底辺しかない。

結局、力の無い女性は「社会」というマッドハウスからは脱出できないのかもしれないです。

 

 

 

余談 ネリーという女性

 

ネリーについては、検索するといろいろな記事が出てきます。

どのように記者になったか、ワールド紙にどうやって自分を売り込んだか…などが書かれています。

彼女が記者になれたのは、彼女の探求心、向上心、行動力があってこそなのでしょう。

それでもその素養事態が、それなりの財力が無いと得られないのも現実です。

 

映画は130年ほど前のことですが、今の日本でも親の経済力で子供の学力に差が出るとか…。

そして女性が仕事を得て、続けていく事にもさまざまな問題があります。

昔も現代も、それほど女性と社会との関係は、変わって無いのかもしれない…そんなことを感じた映画でした。

 

 

映像も綺麗ですし、役者さんの演技も見応えがありましたよ~。

 

 

 

 

 

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