本日は2004年の韓国映画「箪笥」です。
韓国の古典怪談「薔花紅蓮伝」がベースにしているそうです。
いやー。すっごい重いというか、悲しいというか 怖いというか…。
なんかいろいろ詰め込まれた映画でした。
あらすじ
ソウル郊外の一軒家に、父と一緒に、長期療養中だった姉妹・スミとスヨンが帰ってきた。姉妹を出迎えたのは、年若く美しい女性ウンジュ。姉妹の継母だった。
ウンジュは亡くなった母の専属看護師だったが…母の死後、のうのうと後妻に収まったのだ。
母親の役割を勤めようと張り切るウンジュだが、姉妹たちは彼女に冷たく当たる。
ウンジュは良き妻でもあろうと奮闘するが、なぜか夫は無関心を決め込んでいた。
神経質なウンジュと姉妹たちとの間に軋轢が生じる中、家の中に不可解な事が起き始める。
何かに怯える妹スヨン、傍観するばかりの父、攻撃性の増すウンジュ。自らとスヨンを守るため、スミはウンジュの凶行を父に訴えるが…。
不快感のある美しい映像
映像は綺麗なのですが、無意味に思えるシーンが長かったりズームにされたり…。
そのせいでなんとも居心地の悪い感じがします。
そのため、姉妹に受け入れられないウンジュや、新しい母を拒絶する姉妹の気持ちなど、家庭の不和がじんわりと見るものに伝わってきます。
違和感を大切に
この映画は「つまらない」「訳が分からない」という感想もあります。
実はこうでした、というどんでん返し系の映画なので、その種明かしに納得できないとそうなってしまうのかも。
見ているといくつかの違和感があり、それゆえ「ある仮説」が浮かび上がってくるのですが、別の違和感がその「仮説」を打ち消してしまうんですね。
スヨンはほとんど口を開かないし、スミと父もあまり発言しません。継母のウンジュ一人が多弁で、良い母良き妻アピールをしたり、逆ギレして姉妹を罵倒したりで騒がしいです。親戚(亡くなった母の弟夫婦)との食事のシーンでも、周囲の冷たい視線をものともせず、喋り倒します。
違和感の正体を探ろうとすると、ウンジュの大騒ぎでかき乱されてしまうんですね。
とにかくぎくしゃくした家庭ですが、素直に最初に感じた違和感を手繰り寄せれば、つまらないかはさておき、「訳が分からない」ということはなくなると思います。
暴露された後にも注意
映画終盤、謎が明かされます。
これにより、各登場人物に抱いた違和感が説かれていくわけです。
けれども、いくつかの謎は残ります。
ただその謎も、「問題は最初から最後まで解決していない」という視点で見れば、自ずと解けてくるのですが、確信できる前に映画が終わっちゃうので…。
ハリウッドでリメイクされています。
まだ未視聴なのですが、内容は「箪笥」と大きく変更されていないようなので、これから「ゲスト」をまだ見てない方は、以下はネタバレになりますので、よろしかったら「ゲスト」も「箪笥」も見てから、またいらしてくださいね。
ネタバレと考察
終始怯え、発言することなのかったスヨンですが、それもそのはずで彼女はすでに亡くなっていました。妹の死を受け入れられないスミが作り出した妄想だったのです。
更に姉妹に敵意むき出しで、スヨンに折檻をふるっていた継母ウンジュも、スミの妄想であり、夫の寝室で待っていたのも、叔父夫婦との食事の席でお喋りしていたのもスミでした。ウンジュになりきるスミを、父も叔父夫婦も見守るしかなかったのでしょう。
母も妹も亡くしてしまったスミ。確かに辛い経験ですが、なぜウンジュになりきる必要があったのか…。そのあたりを考察していきたいと思います。
激しくネタバレします
回想の真実
映画の終わりに、スヨンと母が亡くなってしまった「あの日の事」が、回想シーンで描かれますが、考察にあたり詳細に書かせていただきます。
☆☆☆☆☆
家の庭のブランコに乗っていたスヨンとスミ。
父と看護師のウンジュが仲良く、楽しそうに車から降りてくる。ウンジュは姉妹に目もくれず、スヨンは複雑な表情で二人を見つめ、父は無言で姉妹を見るがそのまま家に入る。
食事中にウンジュが怒りに満ちた表情で何かを発言し、スミは無言で退席。スミを追う父、驚いてウンジュを見つめる叔父夫婦。気持ちのおさまらないウンジュは、スヨンの食器を奪い取り、無言で彼女を睨みつける。
スヨンは困惑し打ちひしがれ自室に戻り、ベッドに突っ伏し泣いているところに、母がやってくる。
「ママ」と縋るスヨン、母はその手を取るものの、顔を背けて涙を流しただけで、娘を抱き寄せることはない。
泣きつかれて眠ったスヨンが起きた時、母の姿は無い。部屋を見まわし、箪笥の戸が開いていることに気づくスヨン。不審に思って箪笥を開けたスヨンが見たのは、変わり果てた母の姿。
助けようと必死に母をひっぱる、母の首から紐が外れることはなく、反動で倒れた箪笥。スヨンは下敷きになってしまう。
物音には皆が気付いたが、確認に向かったのはウンジュのみ。
彼女が見たのは箪笥の下敷きになり、もがくスヨンの姿…。驚いたウンジュは何もせずその場を立ち去る。この時、スヨンには隙間から、見覚えのあるスリッパが見えていた。
我に返ったウンジュは、スヨンの部屋に引き返すところで、自室から出てきたスミと鉢合わせる。
「家族のことに関わるな」と「パパは下にいる」とウンジュをなじるスミ。再び怒りに火のついたウンジュは、出かけるかそこをどけ、というスミに「この瞬間を一生後悔するかも」と脅す。スミは「その顔を見ることが最大の後悔だ」と言い放ち、外出する。
外に出たスミを、庭にいた父と叔父がただ見送る。虫の息のスヨンが「助けてお姉ちゃん」と声を出すが、誰にも届かない。スミは何かがひっかかり振り返るが、ベランダに立つウンジュと再び睨みあうことに。ウンジュが戸を閉めると、スミも振り返ることなく、家に戻らなかった。
☆☆☆☆☆
映画はここで終わります。
なんというか、ウンジュは酷い女ですね。
どう考えてもスヨンが死んだのは悲しい事故ですが、ウンジュが助ける事もできたはずです。なぜ父はこの女と再婚したのか。病んでしまったとはいえ、なぜスミは憎むべきウンジュに自らを投じてしまったのか。
それは回想さえもスミの妄想だからです。
「あの日」ウンジュは家にいなかったのでしょう。
ウンジュは真実を知る人格
映画の中で本物のウンジュが登場したのは、おそらくスミを迎えに来た時と、病室に別れを告げに来た時だけと思います。
回想シーンで何かを発言したのウンジュはスミです。
なので、回想というかスミの妄想、スミに都合よく書き換えた「あの日」になのでしょう。
おそらくスミ(見た目はウンジュ)は父によるスヨンへの性的虐待について告発したのです。
無言で退室したスミは母だと思います。スミの暴言に驚く叔父夫婦。信じていた姉の言葉に打ちのめされたスヨンは、母に縋ります。
母親は夫と通じた我が子を慰めることができず、苦悩し、自ら命を絶ってしまいます。病気もあり、精神的に既に追い込まれていたのかもしれません。
物音がして、様子を見に行くスミ(見た目はウンジュ)。箪笥の下敷きになったスヨンをスミは見捨てます。
それはスミが異性として父を愛していたからです。その罪悪感が「父に横恋慕する不貞な女」という役割を、一番近しい他人だったウンジュに担わせ、自身がウンジュになったのです。
愛する父を奪った憎いスヨン…大切な可愛い妹のスヨン…スミは葛藤します。
その葛藤が、部屋の前で鉢合わせをしたウンジュとスミのやりとりなのでしょう。
「妹を見殺しにしたことを後悔する」と警告するウンジュに、スミは「その顔を見ることが後悔 あんたとはできるだけ離れていたい」と言います。真実を知るウンジュの人格とは向き合いたくないのです。
良心でもあるウンジュ
スヨンと母を亡くし、心を病んだスミは治療後、我が家に戻ってきます。スヨンとウンジュと共に。スヨンは守るべき愛しい妹として、ウンジュは憎むべき不貞な女であり、父に愛される後妻として。
そして真実を知るウンジュは、スミの良心でもありました。
だからこそ、スミが再び入院する前の(視聴者に謎が明かされる前の)ウンジュとの激しいやりとりの中で、スミはウンジュに助けを求め、ウンジュも「助けてやる」と請け負ったのではないでしょうか。
希望でもあったウンジュ
実際のウンジュは普通に看護師の仕事をしていたはずです。
スミにとっては一番近い他人です。父の蛮行を知られたくはないけれど、助けを求めることのできる人でした。
映画の中で明確に父の虐待が描かれてはいませんが、スミが見た悪夢や、生理に触れたシーンや、父の発言から虐待はあったのだと思います。
そしてそれはスヨンだけでなく、スミの身にも起きていたのでしょう。父を愛しているスミというのも、そうでなければあんな行為はしない、と思い詰めて生まれた人格なのかもしれません。
母もスヨンも亡くなり、看護師のウンジュも来なくなり、父と二人になってしまうスミ。必死に作り上げた妄想は本物のウンジュの登場で崩れ去ってしまった。
スミは別れを告げに来たウンジュ(本物)の手を掴みます。「助けて」と言いたかったのでしょう。けれど、真実を知らないウンジュは手を振りほどき、去ってしまいました。
もうウンジュは来ない…。誰も助けてくれない。スミは妄想の中でウンジュを消してしまいます。あの忌まわしい家の箪笥の中に。
心霊現象
心霊現象があったとしたら、叔父夫婦の妻のほうが「あの家で何か見た」のようなことを言っていたものでしょう。スヨンか母か…ひょっとしたら姉妹のどちらかが流産した子供かもしれないです。
流産も確定的な証拠はありませんが、スミのあの夢や、生理が来たことに安堵しているシーンがあるので、暗示されてるように思います。
というわけで、長々と書きましたが、考察は終わりです。
感じ方は人それぞれなので、こんな考えもあるんだ~くらいに捉えていただけると嬉しいです。