本日は2014年のホラー「MAMA」です。
タイトルからしてわかるように、母性がテーマともいえる作品です。
スプラッターでもグロテスクでもない、普通の幽霊もの、最近見た中では良作でした。
ただ「幽霊」が…もうちょっとどうにかならんかったのか…。
そのせいもあって、ホラー見慣れてる人なら、怖いっていうか笑っちゃうかも。
まあ、怖くはないよって映画です。
今回もかなりネタバレしてます。
あらすじ
同僚と妻を殺害したジェフリーは、3歳のヴィクトリアと1歳のリリーを連れて逃走。
森の中を彷徨い、ボロボロになった小屋に辿り着いた彼は、娘たちを殺害しようとする。が、その小屋に居た「何か」がジェフリーを連れ去ってしまう(殺された?)
それから5年後、森で野生児のようになって、生きながらえていたヴィクトリアとリリーは、ジェフリーの弟ルーカスによって発見された。
ルーカス
ルーカスはイラストレーター、恋人のアナベルはミュージシャン。安定した収入の無い二人は、姪たちの養育権を取得するのは厳しい状態でした。
裕福な親戚ジーン(母の叔母)も姉妹を引き取りたがっていましたが、特殊な環境下で生き延びた幼い二人の研究を続けたいドレイファス博士の計らいで、ヴィクトリアとリリーは、ルーカスたちと暮らせるようになったのです。
さて、新しい暮らしの中で、アナベルは何かの気配を感じます。
こういった場合、たいてい男性キャラは気付かないんですよね。「疲れてるんだよ」とかなんとか…。ルーカスはそんな会話をする間もなく、「何か」に襲われてしまうんです。命は取り留めたようで入院しちゃいますけど。
アナベルは1人で姉妹の世話をすることになってしまいました。
映画を通してあまり活躍しないルーカスですが、姪たちにたいする愛情は深いようです。
姉妹
ヴィクトリアとリリーは「ママ」という架空の保護者を作り上げることで、過酷な環境を生きぬいていました。社会性は著しく退行していましたが、ドレイファス博士の保護のもと、目覚ましい順応力を発揮。姉妹は家庭での生活をできるまでになったのです。
ヴィクトリアは会話ができるまでに回復したものの、リリーは言葉は分かるようですが、食事は手掴み、椅子やベッドも使わず、昆虫を食す(これは視聴者にそう見せてるだけでは?)など…まだまだ問題は残っています。何より、二人は相変わらず「ママ」を慕っていました。
それでも少しずつ心を開き、ルーカスたちと会話もできるようになったりして…。
特にヴィクトリアの表情の変化が見どころなのです!
博士
ドレイファス博しは「ママ」はヴィクトリアの別人格と推察します。
その一方、実在の「ママ」がいる可能性も調べていました。
カウンセリング中の※ヴィクトリアが語る「ママ」があまりに詳細だからです。そもそも失踪当時3歳と1歳だけで生き残る可能性は、かなり低いですよね。
「ママ」に該当するのは、イーディスという100年ほど前に亡くなった女性でした。
カウンセリングでのヴィクトリアの反応、何かの気配を訴えるアナベル、新たに見つかったイーディスの情報。
ありえない事だけれども、だからこそ調べる必要がある。
博士は、二人を育てていた「ママ」がイーディスであるという確証をつかむ為、森の小屋に向かうのですが…。
※ママは『きのどくな人の病院から逃げた女が、赤ちゃんと一緒に水に飛び込んだ』という夢を見せた。
ジーン
登場回数は少ないですが、重要な人物です。
ルーカスの入院中、アナベルが姉妹を虐待していると疑ったジーンは、証拠を押さえようとアナベルたちを監視します。
ある夜、決定的な証拠が欲しいジーンは、鍵が開いていたのをいいことにルーカスの家に侵入、「ママ」に遭遇してしまいます。
イーディスの母性
映画のラスト、イーディスはリリーとヴィクトリアを森に連れ去ります。
姉妹が暮らした森の小屋の近くに、イーディスが飛び降りた崖があるのです。
二人を連れて再び崖から飛び降りようとするイーディスを、ルーカスとアナベルは必死に引き留めます。
この最後のシーンはイーディスのとある行動で「え???」とはなるんですけども。
これは、今のイーディスが愛しいのは、5年間共に暮らしたヴィクトリアとリリー、ということなのでしょう。
幼い姉妹はそれぞれが自らの選択をし、
アナベルの母性
アナベルが登場するシーンは、トイレで妊娠検査をしてるところです。
陰性だったことに安堵しています。
子供に関心の無さそうなアナベルですが、姉妹を見る目は「彼の姪だからしかたない」とか「やっかいなことになった」とか、そういう感情はありません。
妄想ですが、アナベルは自分が虐待された過去があるんじゃないかと思います。
体罰や育児放棄、苦しい時に大人が傍にいてくれなかった経験があると思うのです。
姉妹との関わりも、踏み込んではいけないところ、いいところが、わかっている。
そんなアナベルだからこそ、ヴィクトリアも心を開いたのではないでしょうか。
ヴィクトリアの眼鏡
ルーカスたちと暮らすようになってから、「ママ」が現れた時、ヴィクトリアはいつもかけている眼鏡を付けていませんでした。
3歳の時、小屋に入る前に眼鏡は壊れてしまっていたので、その時からずっとぼやけた世界を見ていたんですね。
パッケージでもちょっとわかりますが「ママ」はかなり異様な姿をしています。
3歳のヴィクトリアには良く見えていなかったので「ママ」を受け入れられたのでしょう。
この「眼鏡」が作中、ヴィクトリアと「ママ」の関係の象徴的なアイテムになってます。一回ではストーリーの展開で集中してしまったら、ぜひぜひ二回目視聴の機会を作って、「眼鏡」に注目してください。
リリー
「MAMA」の考察では、「リリーが実はもう死んでいた」と上がってきたりしますが、いくら何でもそれは無いと思います。
ドレイファス博士や施設の職員、ジーン、多くの大人がリリーと絡んでますから。
アナベルとリリーのほんのわずかだけど、希望が持てる交流のシーンもありますし。
「リリーは死んでいる」の根拠として、オープニングの映像に、姉妹が壁に描いた絵が流れるのですが、ここで「リリーが狼に襲われてる」「リリーが血を吐いてる」かららしいです。
けれど、これは狼ではなくアライグマです。確かにリリーは襲われたのかもしれませんが、次の絵ではアライグマが血を流して倒れています。「ママ」が退治したんじゃないのかなぁ…。
実質は姉妹はアライグマに育てられたのでは?と思ったりもしたのですが、そこまでは妄想が過ぎますね…。
アライグマが血を流して倒れた次の絵が「リリーが血を吐いている」ように見える絵です。「血を吐いてる」の血は、下に転がってるネズミのもので、リリーが襲ったんじゃないですかね、「ママ」の真似をして。
壁の絵は姉妹の5年間。リリーがいかに早く環境に適応したか、野性に近づく妹を案じながらも、追随しなければ、生きていけなかったヴィクトリア。その様子が描かれてるんだと思います。
1歳だったリリーにとって、「ママ」とヴィクトリアとの小屋の暮らしが全て。
それが彼女にとって日常で、普通の事になってしまっていたのですね。
先にも書きましたが、作中リリーは蛾を頻繁に口にしてます。けれどそれを大人たちは気に留めてないんですね。これはいくらなんでも奇妙です。
大人たちにはリリーが通常の食べ物を、手づかみで食べてるだけか、あるいは何もしてない(指をしゃぶってる)かに見えてるのかも。
神話などで黄泉の国の食物を食べてしまうと、元の世界に還れないーという話がありますが、それと似た感じで、リリーは現実に生きているけれど、身も心も「ママ」の世界に居るということを指しているのでは無いでしょうか。
そういう意味では「リリーは既に死んでいる」というのも正しいのかも。
まとめ
「M A M A」は母性の映画だと思います。
ラストシーン、私はリリーが幸せになれなかったように感じました。
どうなんでしょう。
おわり。