本日は「魍魎の匣」の舞台について語ります。
21世紀、車は空を飛んでませんが、便利な世の中になったものですね。
見逃した舞台が自宅で見られる!月額料金はかかるけど、1000円ちょっとか、もしくは無料で観れてしまう。すごい世の中になったものです。
あの独特な空気感は映像では感じられないんですけども、遠方だったりいろいろな理由で見に行かれない人には、とっても嬉しい事ですね。
京極夏彦氏の原作
「魍魎の匣」は京極夏彦さんの「百鬼夜行シリーズ」の第二作目です。映画化は一作目の「姑獲鳥の夏」もされてますが、舞台やアニメにされたのは「魍魎の匣」だけなのではないでしょうか。
私自身「魍魎の匣」がこのシリーズの出逢いとなった作品ですし、シリーズの中でも一番人気があるのかもしれませんね。
あらすじ
14歳の柚木加菜子は駅のホームから転落し重傷を負う。病院に駆け付けた加菜子の姉は、かつて世間を騒がせた女優の美波絹子だった。絹子はある伝手をたどり妹を「美馬坂近代科学研究所」に入院させる。そこは大きな箱のような異様なビルだった。
加菜子が治療を受けている頃、世間ではの少女の手足だけが発見される「バラバラ殺人」が連続して発生。事件を取材していたカストリ雑誌記者の鳥口は、被害者が「穢れ封じ御筥様」に関係しているという情報をつかむ。
無関係に思われた様々な事柄がおりなす物語に、中禅寺が終わりを告げに乗り出す。
原作は1000ページを超す長編です。漫画も全五巻です。
長くて複雑で、情報量の多い物語を2時間ほどに収めるのは難しいと思うんですね。
特にこのシリーズは京極堂の「蘊蓄」が何よりの魅力ですが、これを映画や舞台で表現するとなると、観る側は理解しきれず混乱するだけになりそうですよね。
配役
役の重要性や役者の格(?)ではなく、役柄の立場で区分けしてます。
百鬼夜行のレギュラー
中禅寺秋彦(拝み屋):橘 ケンチ
木場修太郎(刑事・加菜子の転落時に偶然居合わせる):内田朝陽
榎木津礼二郎(探偵・人の記憶が見える奇人):北園 涼
青木文蔵(刑事・木塲の後輩、バラバラ殺人を捜査中):船木政秀
出版社関係
鳥口守彦(雑誌記者・バラバラ殺人と御筥様を調べている):高橋健介
中禅寺敦子(雑誌記者・秋彦の妹):加藤里保菜
久保竣公(小説家・敦子の勤める出版社で執筆、怪奇小説家):吉川純広
鳥口、敦子は百鬼夜行レギュラーです
加菜子に関連する人々
柚木加菜子(大財閥柴田の孫、ホームに転落し重傷を負う):井上音生
柚木陽子(加菜子の母・元女優):紫吹 淳
楠本君枝(頼子の母・御筥様の信者、娘が魍魎になったと思い込む):坂井香奈美
楠本頼子(加菜子の友達・加菜子を崇拝している):平川結月
雨宮典匡(柚木家の同居人・柴田家が付けた柚木家の監視役):田口 涼
増岡則之(柴田家弁護人・加菜子に遺産相続の意思があるか確認したい):津田幹土
事件に関連した人
福本郁雄(警官・加菜子のホーム転落を担当した派出所の警官):小林賢祐
里村絋市(検視官・バラバラ殺人の遺体を検死した):中原敏宏
御筥様関連の人
寺田兵衛(御筥様・箱に魍魎を閉じ込めて穢れを封じる):花王おさむ
寺田サト(兵衛の妻・兵衛の服役中に亡くなる):新原ミナミ
美馬坂研究所関連の人
美馬坂幸四郎(医学博士・生命を維持する研究をする):西岡德馬
須崎太郎(美馬坂の助手・助手をしながら、自分独自の研究をしている):倉沢 学
舞台では開始から加菜子と陽子が母娘になっています。(原作は途中で判明する)
舞台効果のはこ
いくつかの場面がカットされてたり、細かい説明をしなかったり、京極堂の蘊蓄が少なかったりなど、必要不可欠な部分だけ残した感じでした。原作内の「小説」や「事件」はプロジェクションマッピング(?)で表現していて、わかりやすかった…と思います。原作未読の人はどうだったのかな。
セットに箱や四角い枠(囲い)が多用され、舞台そのものも大きな枠に囲まれています。
観客は箱の中を覗くように舞台を観ている感じです。これはおそらく舞台開始時はあまり意識しないのですが、物語が進むにつれてその大枠の箱にじわっと気づかされるのではないでしょうか。
原作「魍魎の匣」は、頼子宅、御筥様の道場、京極堂宅など、場面が多いのですが、これを四角い枠(囲い)の中で演技し、場面が終われば枠をスッと片付ける、という展開で進んでいきます。この演出方法で観客はすっかり「箱」に馴染まされてしまうのですね。恐ろしい。
役者さん
京極堂こと中禅寺秋彦を演じたのは橘ケンチさん、私は存じ上げなかったのですがEXILEの方なのですね。個人的には中禅寺のイメージに近い容姿で、立ち居振る舞いもカッコよかったです。さすがダンサーさんですね。
登場人物の衣装などは、志水アキさんの漫画「魍魎の匣」に寄せていたのではないでしょうか。今回ちょい役ではありますが中禅寺敦子や鳥口などは、漫画から抜け出たような恰好でしたし。漫画ファンには「おお」となります。
頼子に関してはもう少し、木塲の感じた「女の強かさ」があっても良かったかなぁ…。と思いましたが、関口と榎木津に会った後、彼女が遭遇した出来事の演技は良かったです。
敦子は溌溂としてるといか、本来の彼女より明るすぎなのですが、全体的に欝々している話ので、敦子くらいは爽やかで華やかな方が良いのかも。
そして動いて喋る中禅寺が見られるとなったら、期待するのは「憑き物落とし」、心配になるのは「バラバラ殺人」の表現でした。
これはどちらも見応えがあり、「憑き物落とし」は結末を知っているにも関わらず、手に汗握るやり取りになっていて大満足。「バラバラ殺人」は役者さんの熱演でぞわっと伝わってきました。
中禅寺の橘ケンチさんはもちろんですが、美馬坂の西岡さん、久保の吉川純広さん、楠本君枝の坂井香奈美さんが、印象に残りました。
舞台ならではの境界
「魍魎とは境界だ」と中禅寺は言います。
京極夏彦さんは中禅寺に蘊蓄を語らせ、様々な事件や事柄を集約する事で、形の無い「魍魎」を小説という「匣」に封じたのでしょう。
今回、舞台という「匣」(会場をハコって言うのも面白いですよね)に「魍魎」は封じられるのです。
舞台と観客席との境界、役と演者の境界、原作との境界、ぎりぎりのグロテスクの演出、様々な境界が目に飛び込み、肌に感じられます(モニタで見てるんだけども)
まるで関口のように「見たい、知りたい、覗きたい」と、ついついあちら側が気になってしまう…。
この舞台を生で見ていたら、「美馬坂研究所」が何を研究してるが明らかになった時、自分が会場に居る事が心地悪くなりそうです。
演じる者と観る者の一体感が舞台の良いところなんですが、その「境界」がいかされてるなーと感じました。
中禅寺が「魍魎とは境界だ」という場面で、そこにある境界に気づいてハッとした人もいたのではないでしょうか。
映画は未視聴なのですが、舞台の「魍魎の匣」は「よかったよ」とお勧めできます。
漫画は見たけど詳細を覚えていない、という姉と一緒に観たのですが、確かに序盤は??なところもあったらしいけど、見せ場は楽しめたし、物語もそれなりに理解できたらしいです。
で、舞台の「匣」を開けたことで、再び漫画の「匣」を開けたくなったそうな…。
私もいつか、生で舞台の「匣」を開けに行きたいと思います。
そうそう、舞台の冒頭シーン。あれは原作既読者には「にやり」な演出でしたね!
おわり。