小煌女 1~3巻まで たまにはホラーじゃないものを

 



今回は海野つなみさんの「小煌女」について語ります。

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海野つなみさんといえば「逃げるは恥だが役に立つ」が代表作ですね。

ドラマはちょこっと見ましたが、原作は1巻だけをお試し読みしました。

なので、海野さんの作品はこの「小煌女」しか読んでいません。

そのせいか、キャラクターの見分けができなかったり、登場人物の感情が伝わってこない場面がありまして。

この作品の魅力を吸収できなかったかもしれません。

 

 

地球が一つの連邦国家になった宇宙時代、ロンドンにあるベネディクト女学校を舞台に、SFファンタジーな「小公女」の物語が始まります。

ネタバレありで勧めませていただきます。

 

 

「小煌女」はベネディクト校のハウスメイド、サリーをストーリーテラーに物語が進みます。

ベネディクト校では各州(地球は6つの州からなる連邦国家)の上流階級や富裕層の子女たちが、それぞれの州の文化や風習、宇宙共通語とマナーなどを学んでいます。

生まれも育ちも違う同年代の少女たちが、一つ屋根の下集う…。

まあ、意見の相違や軋轢はありますよね。トアン星の王女であるジノンと侍女のセニンが入学したことで、少女たちは浮足立ち、更にややこしく騒がしくなりました。

 

このジノンとセニン、年恰好が似ている設定のせいか、まったく見分けがつかず…かろうじで髪型で判別できたという…。

トアン星は内情が不安定で、ジノンも留学というテイの亡命。王女の顔はトアンの一部の人(神官)しか知らないのだそう。安全の為に敢えて王女に似た侍女を同行させた、ということです。影武者的な?…しかし絵的にはもう少し違いが欲しかったです。

 

王女ジノンは物静かで品があり、高慢な態度を取ったり、人を見下すようなことはしません。誰に対しても(メイドのサリーにも)同じように接しています。それは侍女のセニンも同様なので、言動でも見分けのつかない二人でした。

 

第1巻は「小公女」をなぞった物語となっています。育った環境によって考え方が違う少女たちが、互いを非難したり、出し抜いたり、けん制したり。

そのあれこれを、一歩下がった目線から、サリーが冷静に見つめています。

 

 

そして、この巻の終わりで、トアン星が爆発で消滅してしまうのです。

ここから王女ジノンの転落が始まります。

 

 

英国が舞台ですので、サブタイトルはマザーグースです。

海野さんは10年このお話をあたためられていたそうなので、しっかりと伏線が貼られていて、マザーグースも一役かっています。

 

 

 

 

 

ラブストーリー開始

 

 

海野さんが1巻のあとがきで「SFラブストーリー」語られてとおりますが、やっとお相手の登場です。

ジノンの母星トアンは内戦の末消滅、その後地球のトアン大使館も爆破され、ジノンはただ1人のトアン人になってしまいました。

さらにジノンは実は侍女のセニンだった、という衝撃の事実が発覚。二人は王女の安全のため、地球に来た時から入れ替わっていたのだそう。

 

ジノンとセニンの入れ替わりと大使館爆破のくだりは、見どころのはずなんですが、キャラの見分けが出来なかったので、ついて行かれず…残念。

身を寄せるところの無いセニンは帰化し、レベッカ・ブラウンと改名。トアン人であること隠し、ベネディクト校で教師付きメイドとして働くことになりました。

 

 

第2巻は表紙を飾るお二人、1巻冒頭にも登場していたトアン人、オナスン隊長とシクサ補佐官の人物紹介、およびトアン情勢説明がメインです。

 

トアンはミトンという辺境星に調査隊を派遣していました。生き残った彼らはミトンで復興していかねばならず、オナスンとシクサが、地球に亡命中の王女と侍女を迎えに行くことになったのです。

その途中で大使館が爆破事件が発生、二人はトアン人である証明ができず、地球に入国できない事態が発生…。次々と降りかかる難題をオナスンとシクサは力をあわせて(?)解決してきます。

 

現状トアンの最高責任者ともいえるオナスンは、指導者としての質を疑われる能天気な若者、その補佐官でもあり監視役でもあるシクサは常に冷静沈着だけど堅物。責任ある立場にあり、同じ目的を持つ二人ですが、全く違う思考で物事に当たります。

 

母星が無くなるということは、自分の歴史とか背景がそっくり無くなったに等しいし、足元が崩れていくような絶望感に襲われると思うんですね。

そんな時は、オナスンのような楽観的な指導者だったら希望が持てるかもしれない…けれど、しっかり現実を見据える事も大切ですし。

自分と違う考えを持ち、思いもよらない行動をとる人でも、認め合う事って大事だなぁとしみじみ思った巻でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

第3巻では学校の隣に越してきた(なんとか入国した)オナスンとシクサが、互いの素性を知らぬままセニン(レベッカ)、サリーと接触、親交を深めていきます。

 

メイドになったセニン(レベッカ)は、王女の代役をしていた時と変わらない品と風格で周囲と接していました。それは敬意のあるもので、けっして無礼な態度ではないのですが「丁寧過ぎて居心地が悪い」と思う人もいれば「偽善者」といら立つ人もいるんですね。

読んでいても、それはメイドの対応としてどうよ??と感じる場面もありました。遜るのが正解じゃないんですけどねぇ…そう思ってしまうのは小市民だからかな。

で、このあたりでセニンって本当はジノンでは?と疑惑を持つわけです。

 

 

ところで、この巻には「小公女」の『セイラの粗末な部屋を誰かが居心地よく設えた』エピソードが取り入れられています。

これを読んだ時、セイラのともだち(ベッキーでしたっけ?)は、どんなに寂しく惨めだったろう…と思ったものですが、原作ではそこは作者もセイラもスルーなんですよね。

今回海野さんがベッキーの気持ちに寄り添ってくれていて、なんか救われました。あとがきにも、思い入れのある場面だと書かれてました。

 

相変わらずマザーグースのサブタイトルも刺さってきます。

そうなんです、王子様が迎えに来るシンデレラも白雪姫も、もともと身分は高いんです。

 

 

3巻ではストーリーテラーのサリーにスポットライトが当たります。

「気にかけられない存在」であることが染みついているサリー。

生徒とはいえ年下の少女からの悪意のないディスり、同僚の当たり前のような横暴、なかなかキツイ生活ですが、サリーがこれを空気のように受け入れているので、びしびしとこちらに伝わらせないんですよね。

 

そんなサリーを能天気に…いや明るく屈託なく、オナスンが包んでくれます。

誰もが愛される権利があるんだよ、と言ってくれてるみたいに。

 

シクサもまた、常に毅然とした態度を崩さす、決して弱みを見せないセニン(レベッカ)にたいし、トアン人では?王女では?という疑惑は抜きに、興味を持たずにいられないようです。

 

1~3巻で、身分や立場、肩書…そういった外殻に、人がいかに囚われているのかが伝わってきます。身分も地位も無いサリーも、その「何者でもない、何の取り柄もない自分」に囚われています。

 

それを否定しいるわけでは無く、そういった生き方でも誇り高く生きる事が大切だよ、と「小煌女」伝えてくれるているようでした。

 

 

 

 

 

 

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