本日は「今昔百鬼拾遺シリーズ 天狗 」です。
いよいよ3連続の最期のお話ですね。
今回も表紙はお面を付けた女の子です。
物語は秋なので、制服も秋物ですね。
神社を思わせる石階段、霧に包まれた木々、「天狗」が出てきそうな雰囲気で良いです。
昔は人がいなくなると「天狗に攫われた」なんて言われてたようですね。
父も幼少時、裏山で終日遊び回り、暗くなるまで家に帰らないと「天狗に攫われるよ」と叱られたそうです。
これといって天狗伝説がある土地では無かったと記憶してますが、山近くで生活をしている人々には、山の神である「天狗」というのは身近な存在だったのかもしれません。
ゲスト出演者はあの美弥子さん
「今昔百鬼拾遺」レギュラーの美由紀と敦子、そして今回はあの篠村美弥子さんが登場します。
美弥子というのは「百器徒然袋」の「鳴釜」に登場する代議士の娘で、美由紀に言わせると「正真正銘のお嬢様」です。
美弥子は「鳴釜」で、榎木津と中禅寺たちに、自分の結婚式をめちゃくちゃにされています。
お相手が最低な男だったんですけどね。彼女はそんな男と結婚を決めた自分にも責がある、と潔い行動を示した女性です。
「鳴釜」の後半にちょこっとしか出てきませんが、かなりの存在感でした。
といっても、原作は未読なのですけども。
下世話な発想ですが、「邪魅の雫」を読む前までは、榎木津が結婚するなら美弥子がいいんじゃないか、と思ってしまった。年齢差がありすぎかもしれないけど。
コミカルなお話で、軽妙な中禅寺が見られる「百器徒然袋」は、志水さんの漫画とも相性がいいですね。若干画がラフになっておりますが、お話も軽いのでちょうどよいと思われます。
美弥子は乗馬に薙刀、お茶お華を習得し、三か国語を自在に操る才女、とその優秀ぶりが「鳴釜」で紹介されています。
あらすじ
昭和29年8月、篠村美弥子の友人、是枝美智栄が高尾山山中で消息を絶った。その2ヶ月後、群馬県の山で発見された女性の遺体は、なぜか美智栄失踪時の服を身に着けていた。
事件の解決を榎木津に依頼するべく、薔薇十字探偵社に赴いた美弥子は、偶然同社を来訪した美由紀と出会う。「天狗攫い」と囁かれる美智栄失踪事件を美弥子から聞いた美由紀は、これを敦子に相談した。
事件を調べた敦子は、美智栄失踪と同じ頃、高尾山で天津敏子という娘の自殺体が発見されていた事を知る。さらに天津敏子は群馬で遺体となって発見された女性と、深い繋がりがあった…。
美智栄を攫った天狗はどこに要るのか。美由紀、美弥子、敦子が天狗を追い詰める。
天狗談義
「河童」の時には「各地の河童」について美由紀の学校のお嬢様たちがお喋りし、多々良がそれを補強していました。
今回は、美弥子と美由紀が「天狗」について語り合います、高尾山で遭難中に。
「魔道に堕ちた者を天狗という」「天狗は驕っている者」などなど。
「天狗」についてざっと調べるとー傲慢な山伏は死後、仏道を学んでいるため地獄堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行かれず、天狗道という魔道に堕ちる…それが天狗なのだそうです。
そんな「天狗」がテーマですので、章の始まりは「高慢」「傲慢」など「偉ぶってる」という意味合いの言葉から始まります。そして6章からなる物語で5章以外は全て美弥子の発言なのが面白いです。
代議士の娘で才女の美弥子は「高慢ちきで鼻持ちならない女」だと自覚しています。「天狗」になりそうな女性像ですが、美弥子が「天狗」にならない所以を、彼女自身が美由紀に語っています。
武士の残滓 ちょっとネタバレ
高尾山で自殺した天津敏子は、家の古い仕来りに縛られていました。
天津家は薩摩の武士で維新後は軍人として、その後も藩閥を利用して商いを成功させ家のようです。仙台当主の天津宗右衛門は、まあとんでもない頑固爺なんですね。
家の恥は自分で制す、という暴君で、敏子はそれに悩まされたのです。
とはいっても、時代がちょっと前になりますが、手塚治虫の「奇子」でも「地域の有力者が人を裁く」というような話が出てきます。
さらに前になると、柴田錬三郎の「御家人斬九郎」は、江戸末期を舞台に武士の副業、「かたてわざ(私刑)」にまつわる物語があります。
どちらも創作ではありますがー「天狗」自体が創作ですけどー身内で裁きをするというのは、時代によっては当たり前のことだったのでしょう。
まあ、それが昭和29年で許されるかというと、そんなことはありませんが。
みんなで京極堂
事件の絡繰りはお粗末なものです。誰がどう実行したのかはともかく、何が起きたのかは早い段階から想像できてしまう。そんな読者を「何の確証もなくも物語を創ってるだけ」「可能性どころか邪推」と敦子が引き留めます。
各章は、山中で美由紀と美弥子が「天狗」について語り合いつつ、敦子や美弥子、青木や益田と共に「美智栄失踪事件」について、推理(?)や調査した事を、美由紀が回想する、というかたちで進行します。
京極堂が、横道に逸れたようでいて常に本題の話をしており、「何を糾弾すべきで何を糾弾すべきでないか、私達がそれを理解するのをずっと待っていた」を、総出でやってるって感じですかね。5人がかりの仕事を一人でするとは、京極堂…恐ろしいやつです。
ジェンダー問題
「鳴釜」や「絡新婦の理」同様、「天狗」もジェンダー問題に斬り込んでいます。
今回、百鬼夜行のレギュラー陣は挙って同性愛に理解を示してます。美弥子に至っては「鳴釜」で出逢った金ちゃんとお友達になっている。
理想的ではあるんですが、多様性を認めるという事は、「受け入れられない」という人もーそれを他人に押し付けない限りはー居ていいという事だと思うのですが…。
美弥子は金ちゃんが心と体の性が異なる人、と知ってからの出逢いなわけで。家族や友人とか近しい人が、そうだったと知るのとは違いますしね。
とはいっても、京極さんは女性陣に”その時にならないとわからない”という意を、ちゃんと語らせていますけど。
偽物の天狗
犯人は「天狗」といっても「偽物の天狗」だったのかな…?
傲慢な山伏は死後、仏道を学んでいるため地獄堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行かれず、天狗道という魔道に堕ちる。
なんだか、時代の流れに取り残された老害…みたいですね。
戦前戦後では日本人の価値観は大きく変わったのだと思います。信じていたものが根底から否定され、同調圧力は180度方向を変え…時代の流れに付いていけない事もあるでしょう。
そう思うと変化のスピードが速い現代こそ、「天狗」が量産されそうですね。
美由紀の憑き物落とし
「天狗」でも最後に美由紀の啖呵で「憑き物落とし」がなされます。
読んでいてすっきりはしたけれど、落ちてなさそうですけどね、あのしぶとい「天狗」は。
それよりも、今回は美由紀から「何か」が落ちたような気がしました。
「絡新婦」から始まり「鬼」「河童」「天狗」とあまりにも、多くの怪に当たりすぎた美由紀。しっかりした少女ではありますが、最後の場面でようやっと小娘らしい姿が見れてほっとしました。
今後も美由紀の活躍が見たい、という気持ちもありますが、もうゆっくりと残りの学生生活を楽しんで欲しいなぁ、とも思います。
三作読むとなお面白い
さて、「天狗」で「今昔百鬼拾遺」は終了です。
「鬼」「河童」「天狗」の三連作は単体で読んでも面白いですが、順番で読むと京極さんの仕掛けは相変わらず巧妙ですね。
「河童」で高貴な人を匂わせ「天狗」でその人に翻弄された人を描き、その激動の波に飲み込まれた人物の刀が「鬼」に関わる…。
だから次々シリーズものを読みたくなっちゃうんですね。
「河童」では、益田との会話の中で「栃木の事件は、兄も最初からいたでしょう」と敦子が言う場面がありまして。
「陰摩羅鬼の瑕」が昭和28年夏の長野、「邪魅の雫」は昭和28年秋の神奈川で起きた事件です。
そうなると28年の秋あたりから29年の春頃にかけて、何か事件があったという事になりますね!これが次回作と言われてる「鵺の碑」なのでしょうか。
新作が読みたい
「鵺の碑」が出版されない理由って、出版社の権利絡みなんですかね。それにしたって期間が長すぎる気がしますが。
内容的に現代社会では好ましくない事柄が含まれてるとか…なんて想像してしまいます。
京極さんはその時代の事件や災害などを作品に取り込んでいるので、書いてる時には問題なかった過去の事柄が、出版時には「いかがなものか…」になってしまった的な…。
考えすぎですかね。
何はともあれ、早く「鵺の碑」が読みたいものです。
それと、志水さんの「百鬼夜行シリーズ」の漫画も出ないんですかね。
最近こちらの5巻が出ました。古本屋になる前の中禅寺の物語ですね。
これはスピンオフ?といより、薔薇十字叢書のひとつと思ってよいんですかね。
日常の「不思議」の話なので、軽く楽しめます。
これも面白いんですけど、「塗仏の宴」のコミックも読みたいです。
登場人物が多いうえに複雑なので、漫画化するのは大変そうですけど、そういう話は出てないのかなぁ…。なんなら「邪魅の雫」でもいいです。