ラ・ヨラーナ~泣く女~ 泣くよりも他に

 

今日は2019年のアメリカ映画「ラヨラーナ~泣く女~」を語ります。

 

 

メキシコの伝説

 

「ラ・ヨラーナ」とはタイトルにあるように「泣く女」というメキシコの伝説です。

 

夫に裏切られたヨラーナは怒りと嫉妬にかられ、二人の子供を川に沈めてしまう。我に返った彼女は悲しみにくれ、自らも川で命を絶った。

しかし、死んでも彼女の悲しみ癒えることはなく、亡くした子の代わりを求めて彷徨う…というものです。

 

日本でいう河童みたいな、子供が川に近づかないように…という戒めみたいなものかもしれません。良い子にしないと「ヨラーナがくるよ」とか言ったりもするのかも??

 

 

母の悲しみ

 

舞台は1970年代、ロサンゼルス。

夫を亡くしたアンナは児童相談所で働きながら、二人の子供を育てています。

 

ある日、アンナが担当している一人親家庭に、虐待の疑いありと通報が入ります。母親のパトリシアが二人の息子を学校に通わせておらず、電話にも応答しないのです。

 

上司はアンナが一人親家庭であることから、パトリシアの担当を彼女の後輩に替える、と指示します。

上司の言い分としては、負担の多い仕事から外れれば、子供との時間が取れるだろう…というもの。彼なりの配慮のつもりなんですが、それにアンナは反発します。

アンナはきっぱり上司(男)に言うんですね。後任を任された後輩(女)にたいしても「あなたには無理」とか言っちゃうんですね。

アメリカ70年代の働く女性が、みんなこうだったのかは分かりませんけど。

思った事を言える、受け止めてくれる社会っていいですね。

 

 

さて、アンナですが、後輩に仕事を取られそうになったという意地もあったのか、やや強引に事を進めてしまいます。

パトリシアの話をきちんと聞くこともなく、半ば無理やり納戸に閉じ込められていた子供たちを救出します。

パトリシアも子供たちも「彼女が来る」と怯えていたにも関わらず。

 

とはいっても、傍から見ればただの虐待です。母親と子供たちは引き離されてしまいます。泣き叫ぶパトリシアの話を、アンナが聞くことはありませんでした。

 

母親と隔離され、保護されても怯えている子供たちに「ここは安全よ」と優しく諭すアンナ。彼女はパトリシアも子供達も救える、そう信じていました。

 

 

 

隙を狙って

 

しかし、安全を確保されたはずのパトリシアの子供たちは、保護施設の近くの川で溺死体となって発見されることに…。

 

かけつけたアンナに向って「あなたのせいよ!」とパトリシアは泣き叫びます。

「ラ・ヨラーナを止めようとしたのに…」そう言い残しパトリシアは警察に連れていかれてしまいました。

 

その頃、深夜の呼び出しのため、母親に同行していたアンナの子供たちは、車内で待機していました。

おきまりのごとく、好奇心に駆られた息子クリスは車を出て、川を見に行きます。

 

聞こえてきたのは…悲しげにすすり泣く声…。

ヨラーナが次に狙ったのは、クリスでした。

クリスの腕にはヨラーナに掴まれたあとが、火傷となって残っていました。

 

 

 

にしても、自分で子供を殺しておいて、生きてる他人の子供を欲しがるなんて、はた迷惑な幽霊ですね。

ヨラーナの犠牲者が他にもいるのか、映画では明かされません。が、なんとなくヨラーナが襲うのは「母親と暮らす子供、寂しさを抱えた子供」ではないか、と妄想します。

彼女の泣き声も、そんな子供にしか聞こえないのかもしれません。

 

ヨラーナはアンナの娘、サムにも近寄ります。

プールサイドで遊んでいたサムはヨラーナに腕をつかまれ、クリス同様に火傷の痕を残されます。

 

 

 

オーソドックスなホラー

 

クリスがヨラーナに襲われて怪我をした折、火傷の痕(ヨラーナにつけられた)もあることから、アンナは児童虐待を疑われます。

幸いパトリシアのように、子供から引き離されることにはなりませんでした。

何か恐ろしい事が起きている…アンナは神父を頼ります。

 

この映画は「死霊館」のシリーズというかスピンオフ?らしく、アナベル人形に関わった神父が登場します。

神父は「教会には介入できない悪」があるというような趣旨を語り、ヨラーナに対抗できる人物を紹介してくれました。

 

その人物の力を借りて、アンナはヨラーナから子供たちを守ることができました。

このあたりは「ホラーです!」という演出なので、はらはらドキドキを堪能できるかと思います。

 

 

孤立という敵

 

ホラー映画は「怖がらせる」ことが目的のエンタメなので、深読みする必要はないのでしょうが、あえてしてみるならば…「孤立」でしょうか。

 

パトリシアが自分だけで解決しようとせず、アンナや他の誰かに助けを求めていたら、結果は違っていたかも??しれない。

アンナの対処は間違っていたわけでは無いと思いますが、あの時、パトリシアの話を聞く余裕があったら…?

行政的には規則通りにやるべきことをやっていても、守れない家庭、救えない命がある…。教会が対抗できない悪があるように。

 

それぞれの感じ方があると思うので、ここに書き上げはしませんが、あの時もう少しちゃんと向き合ってたらポイントが、いくつかあります。

現実世界でもそういう積み重ねが、事態を悪化させている事もありますね。

 

 

泣くよりも、助けてと叫ぶ

 

育児や介護、闘病…最も小さなコミュニティーである家庭には、さまざまな問題があります。地域に属してはいても、家庭というの結局は「孤の社会」です

ヨラーナのように内側に怒りを向けたり、パトリシアのように一人でなんとかしようと抱え込んでいては、解決できない…。

 

悲しみに暮れて泣くよりも、「助けて!」「協力して!」と叫ぶのが救われる方法なのかもしれませんね。

 

 

おわり。

 

 

 

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